真面目ブログ

バカが考えたことをバカなりに真面目に書くブログ

アクションゲームってなんだ?という話

アクションゲームが好きだ。

おれがなにが好きかって、アクションゲームだ。好きだ。好きでたまらない。アクションゲームもおれを好きなはず。

ただ、なんでおもしろいのかがいまだに分からない。

なにをもってして、アクションゲームはおもしろくなるのか

ボタンを押してキャラクターが動くのが、なにがそんなにおもしろいのか

 

アクションゲームってなんだ?

 

action  -- 動作。活動。特に、俳優の演技・身振り。
 
アクションの定義をググッてみた。

なるほどゲーム内でキャラクターが演技していればアクションゲームであるか。

確かに良いアクションゲームは、キャラクターの動きが気持ちいい。

画面のキャラが動いて気持ちいいというのは、アニメーションの快感だ。

それなら良いアニメーションさえあれば、良いアクションゲームになるのか?

アニメーションの快感が、アクションゲームのすべてなのか?

 

ドラゴンズレアというゲームがある。

クソゲーと名高いファミコン版ではなくて、LDゲームと呼ばれる方のバージョン)

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ドラゴンズレアは、動画が再生されて、あるタイミング(罠をよけたり、魔物が出たり)でボタンを押すと先に進めるという全編アニメーションのゲームだ。

 

アニメーションのクオリティはとても高い。キャラクターの動きはユニークで、豊富で、見ていて気持ちが良い。それもそのはずで、制作がディズニーのアニメーターだ。

 

アニメーションは良い。じゃあこれが良いアクションゲームかというと、どうかな。そもそもLDゲームと呼ばれているジャンルで、これをアクションゲームだと言う人は多分いない。

 

ドラゴンズレアはなぜアクションゲームでないのか。プレイヤーの操作のタイミングが限定的で、基本的にキャラクターが勝手に動いていて、「ボタンを押して反応があった」「自分が動かした」という感覚が乏しいからだ。

 

ムービーが流れて任意のタイミングでボタンを押すのは最近のゲームでもある。QTEと呼ばれるやつで、嫌われやすい。ドラゴンズレアは全編QTEのゲームともいえる。

プレイヤーは基本、キャラを自分で動かしたいのだ。

 

ということはアクションゲームは、ゲームの中のアクションだけの話ではない。プレイヤーのアクション(動作)に画面内のアクション(演技)が伴ってはじめてアクションゲームになる。

 

(ちなみにおれはQTE自体がわるいとは思わない。適切につかわれていればむしろ好きだ。ここぞというタイミングで盛り上がる演出として、プレイヤーが動かしている感じを与えつつ、ミスってもあまり問題にならないぐらいのさじ加減で出してくれれば、おいしく食べられる。ベヨネッタ2は良かった。)

 

 

アクションゲームがなんなのかは分かった。

じゃあ良いアクションゲームってなんだ?

良いアニメーションだけが良いアクションゲームの要素ではないらしいことはドラゴンズレアを見ればわかる。

 

むかしのゲームは凝ったアニメーションはつくれないが、それでも良いアクションゲームはある。ここからなにかわかるかもしれない。

 

ファミコンの時代で動きがおいしいゲームをつくるメーカーといったらナムコだ。

スカイキッドの宙返りのおいしさときたら

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スカイキッドの宙返りは、ボタンを押せばすぐ反応するし動きもなんか小気味いい。けどそれだけじゃない。

プレイヤーの後ろに敵がいるときは、回り込むことができるし、宙返り中は機体の角度が変わるので弾を打つ方向を変えられる。

動きが気持ちいいだけではなく、その動きにゲーム上の意味がある。

レスポンスのよさ、見た目の気持ちよさ、動きが持つゲーム上の意味。全部が合わさっておいしいアクションになるのだ。

 

良いアクションゲームは、この手のおいしさを腹いっぱい食わせてくれる。

 

 

 

良いアクションといったら、なんつってもマリオだ。

ドット絵時代のマリオならスーパーマリオワールドが一番好きだ。なかでもノコノコのコウラを持って上に蹴るアクションが大好きだ。

 

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マリオがコウラを蹴って上のブロックに当てることができるのだ。嗚呼、なんたる至福。

 

なにがそんなにうれしいのか。いまもってはっきりしないが。とにかくうれしさ、おいしさがある。

 

コウラの秘密を探るために、コウラの歴史をふりかえってみる。

はじめてノコノコのコウラを蹴れるようになったのは初代スーパーマリオブラザーズだ。ただこの時代のマリオはコウラを持って運ぶことが出来ず、蹴ることしかできなかった。

 

スーパーマリオブラザーズ3では、マリオはコウラを持って運ぶことが出来る。つまり好きな場所でコウラを蹴って敵を倒すことができるようになった。

 

そしてスーパーマリオワールドに至って、ついにコウラを上に蹴れるようになったのだ。しかも蹴ったあと再びキャッチすることもできた。

 

なにが言いたいかというと、作品を経るごとにコウラの操作の自由度が上がっているのだ。

 

プレイヤーが期待した動きと、キャラクターのアクションが合致すると、そこにおいしさが産まれる。

蹴りやすそうなコウラがあったら、それは蹴とばしてみたくなるし、それが手に持てそうだったら、持ってみたくなる。右に左に蹴り飛ばせるなら、上にも飛ばしてみたくなる。

 

プレイヤーが想像した「やってみたくなった動き」にゲームが答えてくれると、そこに美しいハーモニーが、愛が、信頼が、おいしさが産まれるのだ。

 

 

しかしおいしい動きだけがゲームじゃないのだ。いや、スパイスによってもっとおいしくなるのだ。

 

前述の通りゲーム画面内のアクションだけがアクションゲームではない。むしろプレイヤー側のアクション(動作)の習熟がアクションゲームの本質と言ってもいい。

 

GOD HAND

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えげつない辛さのスパイスを死ぬほどぶっかけたゲームだ。しかしアクションのおいしさたるや脳が焼き付くほどでおれはいまだに次回作を待っている。

 

このゲームの敵はとにかく攻撃は熾烈だわ、こっちの攻撃は避けるわ、ガードするわ。倒したと思ったら悪魔になって復活するわで壮絶なのだが、プレイヤーがゲームに精通して、敵の動きを読んで、攻撃をスウェーでかわし、ガードを崩し、ピヨったところをボコボコにした快感たるや並のゲームで味わえないおいしさなのだ。

 

GODHANDの操作感は良い。主人公ジーンはキビキビ動くし、右スティックまるごと回避に当てられていて、ダッキングやスウェーやバク転で避ける動きはカッコいいし、攻撃ワザも自分でカスタマイズすることができる。ほとんど自由自在に動かせる。

 

だがいくらおいしい動きでも、ずっと単調にそれを繰り返していては人は飽きる。

 

このゲームは主人公をいくらでも動かせるかわりに、挑むべき壁の高さをものすごい上げている。はじめはボコボコにされる。それをアクションそのもののおいしさでひっぱりつつ、だんだん操作に慣れ、敵を倒したときに更においしくなり。強い敵を倒すためにさらに操作が成熟しておいしくなる。

 

乗り越える課題があり、それをクリアしていくというのはゲームの根本的なおもしろさで、良いアクションゲームに必要なものだ。

 

最近のゲームでいえば、それを極端に尖らせたのがソウルシリーズ。

デモンズソウルを初めてやったときの衝撃やばかった。 

 

あとDownWellもすごい。

落ちるゲームデザインとか、ガンブーツという発想もすごいし目が行きがちだけども

単純にモーションの気持ちよさがハンパじゃない。そしてこれもすっごいむずかしい。

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 と、色々書いてみたはもののけども。やっぱり、根本のところでは、わからん。

ボタンを押して、絵が動いて、なんでおもしろい?

どうしておもしろくなるの?

教えてくれ。だれか教えてくれ。助けてくれ。

アクションゲームってなんなんだ。

 

 

個人的に好きなゲーム音楽TOP108

どうも。おれです

ツイッターで好きなゲーム音楽を羅列してる人を見かけて、面白そうなので自分でもやってみることにしました。

そんで書き出してみると好きな曲がむちゃくちゃあって終わらないので

しぼってなんとか108曲にまとめました。108なのは煩悩の数だからです

「全部すき・・・。順位なんて決められない・・・むり・・・」

と思ってるところを血の涙流しながら順位付けしました

 

ゲーム音楽は、ゲームの演出や展開とセットで評価すべきと考えるので

・曲の良さ

・演出

・個人的な思い入れの強さ

という評価基準で選んでいます。

また、

・1つのゲームから選ぶのは最大で3曲まで

という縛りをいれます。厳選します。そうしないと際限なく増えるから

 

完全に個人的な趣味で評価してるので、好きな曲が無かったり「なんでこの曲があの曲より下なんだ!」とか怒らないでください。あくまでおれの個人的TOP108だから・・・

 

一応ネタバレ注意です。ラスボスの曲とか入ってるから

 

じゃあいってみよう

 

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電波ゲーについて元ネタを暴露する話

PITS というゲームがあります。

おれがつくったんですけど。

妄想のなかをフラフラするというコンセプトのゲームなんですけど。

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このゲームは、とにかく好きなものをなんでもかんでもぶち込んで、すっげー好きな場所をつくって、なんかイヤなことがあったらそこで引き籠ろうってつもりでつくったものなんですが、そうなるとパクリ元というか、イメージの元というか、インスパイア元というか、そういうのがあったりなかったりすることになったんで、ここで紹介することで良心の呵責を減らすことにします

 

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「おもしろい」ってなんやのん。という話

世の中色んなおもしろさがある。人間、いろんなものにおもしろさを感じるものだ。
色々ありすぎて本当にわけがわからん、ようでいて、おもしろさの根本をたどっていけば、底にあるおもしろさは案外普遍のものだったりもするし、やっぱりわけが分からなかったりもする。
結局の所、わけわからん。けどそのほうが、おもしろい。

だっておもしろさの中身の全部が解明されちゃったら、それはそれでおもしろくないじゃん?

ただあんまりワケが分からな過ぎるのも、おもしろいものを作ろうとした時に困るので、俺が無い頭絞って考えた「なんとなくこれがおもしろいんじゃねえかな?」と思ったものを本当に大ざっぱにボ~~ンヤリまとめていくことにする。


ここでは主にゲームとおもしろさについて語る。

ざっくり言って、人間が本来持っている欲求が満たされた時に「おもしろい」と感じる。のでないか。そして、仮想の世界観の中で人間が持っている欲求を満たすのがゲームだ。

と、大ざっぱに決めつけてみる。

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自由な発想ってなんやねんという話

全くの無の状態から何かを発想する事は不可能だ。少なくとも俺にはムリです。ムリぽよ。

人間がなにか発想するとき、自分では全くの無から何かを発想したつもりでも、その発想に至るまでの思考は、思考する人が持つそれまでの体験・知識・記憶が基盤となっている。
思考は、大なり小なり思考の元になる基盤があることを前提とする。と思う。多分。


ある概念について、新しい発想をしようと試みるとする。
俺はゲームを作るのが好きなので、分かりやすく、例えばシューティングゲームに新しい要素をつける時のことを考えてみる。

思考の基盤になるのは、そのまんまシューティングゲームだとしよう。
シューティングゲームという基盤の概念。これを分析し、
別の視点を与えてみたり、別の概念と組み合わせてみたりすることで、新しいアイデアが生まれるとする。そこに至るまで試行錯誤が、新しい発想までの思考だ。

簡単に言えばアドベンチャーゲームとシューティングくっつけてアドベンチャーシューティングとかどうよ?みたいな考えに至るまでの流れや、基盤がもつ要素を分析して、別の組み立て方をしてみるということだ。(ブロック崩しのルール逆にしてブロック崩さないゲームとかどうよ?みたいなね、ヘッヘ)

その、とっかかりになる概念・視点を見つける事、これが発想だ。
「アドベンチャーシューティング」で言えば、「アドベンチャーゲーム」という概念を発見した時が発想の瞬間になる。
発想とは、基盤の概念を元に、別の概念、視点を発見することだ。


では自由な発想とはどういうことか。
ビシっとした表現が浮かばないのでぼやっと言うと、別の概念、視点を見つける時に、同じ所ばっかり探すなということ。なんじゃね
シューティングゲーム」という基盤から発想をする際に、「シューティングゲーム」の近くにある概念ばっかりを探していては、自由な発想とは言えない。
なにか発想をする際に、ある特定の概念から思考が離れることができない。そういうのを自由な発想ではない、とする。
さっきの「アドベンチャーシューティング」という例も、結局「ゲーム」という大きな概念からは外れてはいない。

その思考の垣根を超えるのが自由さで、「ゲーム」から全然離れて、「うどん」という概念を見つけちゃって「うどんシューティングゲーム」が出来ちゃってもアリだろうが。

要するに、特定の概念・視点にこだわらず、どっからでも概念を発見する事ができる。これが自由な発想だと思う。
それは全くのゼロの状態から何かを生み出す行為ではない。
概念を見つけるということ、発想というのは、自分自身の記憶・知識・体験の中から、何かに焦点を当てていくことで実現するものだ。

発想が自由だからといってそれが優れているわけでもなんでもない。
なんでもかんでも概念やら視点やら発見して、やっちまえば良いというワケではない。
自由な発想とは、言い変えればただの視野の広さで、これでもっておもしろいもの・有用なものを見つけれるかどうかの方が重要だ。
基盤である概念とうま~くマッチする概念を見つけることが大切で、その助けになるのが、知識と、自分の感覚、そして物事に対する洞察だ。
シューティングゲーム」が与える体験に、新たな概念・視点を加えることで、体験を更に楽しく、倍増させるようなものを見つけることが、良い発想だと考えている。
そういう優れた発想をするために、知識や、自分自身の感覚を使ってマトを絞りながら、新たな概念やら視点を探すのが、良い発想、アイデアを生むための条件だ。と思うぜ。多分。
「うどんシューティング」がおもしろいかどうかは分かりません。でも多分おもしろいかもしれない。主に語感が。


説明が分かりやすいために「シューティングゲーム」とか「うどん」とか言ってるが 実際自分が何かを作る際に発見する概念は、もっとボヤっとした「体験」とか「感覚」だ。
ゲームを作る時は、「ゲーム」という考えの基盤を元に、別にゲームに限らずに「あの時のあれが面白かったな」みたいなボンヤリしたものを、くっつけて形にする。
もっと言えば「あの時のあれが面白かった」の、「あの時のあれ」の、「何」がそんなに面白かったのかを考えて、そのおもしろい部分を考えて考えて抽出した物をゲームにする。
っていうのが、俺のゲームの作り方。
っていうか
そうなったらいいなっていうか、
まあ長くなるんで今書くのはやめます。

というわけで、自由な発想という言葉についてバカなりに考えて、拙い文章でっちあげました。

以上です。終わりです。終わり終わりーーーー!!!!帰れーーーーー!!!!!